『絵本でみんなを笑顔にしたい!』ÉHON INC. CÉO国則の等身大の姿【前編】
みなさん、こんにちは!ÉHON INC. の安蘇谷です。
ÉHON INC. では「自分が主人公になれるオリジナル絵本」を沢山の方々に届けるために、4/6からクラウドファンディングに挑戦します。そこで今回は、ÉHON INC. CÉO(シーエーオー)の国則にインタビューをしました!
つい先日、ちょうど40歳の誕生日を迎えた国則。人生の節目で、最大の挑戦がこれから始まります。
今を輝いて生きている人って、これまでも日の当たる道を歩いてきたんだろうなとどうしても思ってしまいますよね。ただお話を聞いていくうちに、夢も希望もなかった時期や仲間とのお別れなど。様々な悩みや葛藤を乗り越えてきたからこその今があるんだということを強く感じました。
今回のインタビューでは、国則の等身大の姿をお届けします。いま何かに悩んでいる方や、挑戦したいけど怖くて一歩踏み出せないという方の背中を後押しできたら幸いです。
泣き虫だった幼少期
安蘇谷:本日はよろしくお願いします!今回は、社長(国則)のこれまでの人生のストーリーをお聞きしたいと思います。まず、幼少期はどんなお子さんだったか教えていただけますか?
国則:よろしくお願いします!幼少期は、泣き虫な子供でした。活発ではあったけれど、すぐ涙が出てしまうようなタイプです。
安蘇谷:意外ですね!ご両親はどのような方でしたか?
国則:簡単に言うと、父親は怖くて母親は甘かったと思います。父親はわたしが中学二年生のときに他界しているんです。父親は仕事から帰宅したらずっとTVをみているイメージが強くて、思い出として記憶に残っているのはキャッチボールを2〜3回したことですかね。大人になってから母親に聞いた話では、単に「子供との接し方がわからなかった」と。愛情はあるけど、少し不器用な父親でした。
安蘇谷:そうだったんですね。子供との接し方がわからず悩むという親御さんは多いですよね。お母さまとの一番の思い出は何ですか?
国則:母親との思い出は、一番が何かというのは難しいですが日常の全てかもしれないです。いま思うと姉とわたしを女手一つで育てるのがどれくらい大変かわかります。仕事をしながら学校の行事も来てくれて、部活の役員もやってくれて。本当に凄いことだと思うし、今でもとても感謝しています。
安蘇谷:一人で仕事も子育てもとなると、本当に大変だと思います。深い愛情で子ども達のことを包み込んでくださる素敵なお母様だったんですね。
夢も希望もなかった学生時代
安蘇谷:どのような学生時代を過ごしていましたか?
国則:元々建築士に興味があって、建築について学べる大学を受験していたのですが受からなくて。そのため光工学科という顕微鏡やカメラなどのレンズ設計について学ぶ学科に進みました。ただこれが全く興味がもてず、バイト・麻雀・パチンコのサイクルを繰り返す大学生活を送っていました。
安蘇谷:大学生活を謳歌していたんですね!(笑) 社会人になってからはデザイナーとしてキャリアを積まれたとお伺いしていましたが、学生生活の中でデザイナーに興味を持つきっかけがあったんですか?
国則:大学時代の友人がデザイン専門学校に行っていたことがきっかけです。大学の一大イベントといえば就職活動。その就職活動で自分の何をアピールすればいいのかが当時見つからなかったんです。そこで友人のように専門学校に入れば、卒業するときには課題でつくったポートフォリオがあるのでその説明はできる。そうすれば就職活動で自己PRは必要ないんじゃないかと思い、大学卒業後に東京デザイン専門学校への入学を決意しました!
安蘇谷:就職活動で自己PRをしなくて済むという理由が、入学の決め手だったんですか!専門学校の2年間は楽しかったですか?
国則:それが、専門学校でもあまりやる気がない学生でした。すでに就職している周りの同い年の友達を見ても焦りの気持ちというよりは、就職したくないなとしか思っていなくて、楽して生きたいという気持ちばかり。バイトしながらなんとなく過ごした2年間でした。夢や希望なんて、これっぽちもなかったです。
安蘇谷:いま自分の目標を掲げて生き生きと働いている社長から、本当に想像もつかないです。専門学校を卒業後は、どのようにして社会人になったんですか?
国則:特にこれを目指したい!という目標がない中、たまたま就職課にあった求人票を見つけて夜中に問合せフォームからその会社に連絡しました。すると返信がきて、面接も一発で受かり、とんとん拍子で入社が決定。その会社の社長に後から聞いた話では、夜中の2時に就職課を通さずに自分でメールをしてきたことが面白かったと。最後は人柄で採用したと言われました。
安蘇谷:自然と流れるように就職先が決まった感じですね。今を輝いて生きている社長でも、夢も希望もなかった時期があったと聞いて少し親近感が湧きました。やりたいことを見失っている時があったとしても、一歩一歩進み続ければ自分らしい道を見つけることができるんですね!
人生のターニングポイント「独立」
安蘇谷:専門学校を卒業して入社したのは、小さなデザインプロダクション会社と伺いました。そこでのお話を聞かせてください。
国則:その会社では6、7年働きました。社長が師匠とも言えるくらい本当に素晴らしい方で、現場上がりで、クリエイティブも企画もプレゼンも凄い。こんな人になりたいと思いながら、毎日隣で頑張っていました。
安蘇谷:目標となる人と一緒にお仕事をするってとても素敵な経験ですね。その後、イベント制作会社に転職したと伺いましたが、転職をした理由は何ですか?
国則:ずっと小さい会社で働いていたので、外の世界で自分の価値をもっと試してみたかったからです。転職先のイベント制作会社では、展示ブースを作ったりなど空間デザイナーとして働いていました。大きなイベントを成功させたり、クライアントから感謝されたりとてもやりがいはあったけれど、なかなかのハードワーク。新婚で子供が産まれたばかりの頃に、丸3日間寝ずに仕事をするような生活を送っていたので「何のために仕事をしているんだろう?」と悶々としていた時期でもあります。
安蘇谷:丸3日間・・・。家に帰ってきても仕事で疲れきっていて、子供と遊ぶ時間も体力も残っていなさそうですね。
国則:本当にそうでしたね。特に子供が0歳〜1歳の頃は仕事が忙しくて。なかなか子育てにも参加できず妻に任せきりになっていました。もうこの生活を変えるには独立するしかない!まずはこの環境から脱出しなくては!と思い、独立を決意しました。その後はありがたいことに仕事もいただけて、どんどん会社の仲間も増えて今があります。家族との時間も増えました。独立は私の人生のターニングポイントですね。
安蘇谷:ご家族もいる中、独立をするという決断は勇気がいることだと思います。でも当時の決断があったからこそ、今の社長がいて、後にÉHON INC. も生まれたんですね。私も今でも、何かを決断するときは怖かったり本当にこれが正解なのか不安になります。自分で選んだ道を正解にするためにも、決めた後はあとは前を向いて走るだけなんだということを、お話を聞いていて改めて思いました。
前編へこの辺で。
次回の後編では、国則のご家族とのコミュニケーションについてやÉHON INC. の誕生秘話、今後の夢についてのお話をお届けします!
昔は夢も希望もなかったという国則の人生をかけた挑戦、クラウドファンディングが4/6から始まりました。みなさまぜひ、応援よろしくお願いいたします。
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